Relicカードの初期特許と思われる米国特許 US5803501 発明者Adrian Gluckが出願したのは、本物のmemorabiliaの一部をカードと組み合わせるアイデアだった。
ところが、この特許が特許として認められる、すなわち登録された1998年前後には、Upper Deckをはじめとする大手メーカーから実際のRelicカードが登場し、市場は急速に広がっていく。
ここから話は、単なるカードの歴史ではなくなる。
発明家が出願したアイデアと、巨大なカード市場。両者はやがて法廷で戦う。
この記事の読み方
私は特許そのものや特許紛争の専門家ではありません。できる限り資料から調べ、資料に書かれている事実と私なりの考察を記載していますので、カードを別の側面で楽しむ技術探訪として、信じるも信じないも、の感じで読んでいただければと思います。
Gluckはカードメーカーの社員だったのか
公開資料を確認したところ、Gluckは元Upper Deckの社員(取締役・戦略アドバイザー)だったらしい。更には、Upper Deckのスタートアップに資金を提供した人物との情報もある。
調べられる情報から見ると、Gluckは1993年初期にUpper Deckを離れており、その後、特許出願をしたように見える。
特許を取った=すべてのRelicカードを発明した?
Gluckが特許を取ったのなら、Relicカード全てがGluckの発明ということになるのだろうか。
どうも、そんな単純な話ではないらしい。特許には、「こういうものなら自分の発明です」という権利の範囲が決められている。
Gluckが最初に取得した特許にも、単に「カードに本物のジャージやバットの一部を付ける」とだけ書かれているわけではない。
たとえば、実物のmemorabiliaの一部を使うこと。そのmemorabiliaが有名な人物や出来事に関係していること。それをカードに組み込み、カード上の写真などと組み合わせること――といった複数の条件が含まれている。
つまり、
「本物の布やバットが付いているカード=何でもGluckの特許」
というわけではなかった。
そして2000年には、同じ発明をもとに、Gluckが別の切り口で権利を求めた特許(US6142532)も成立している。
こちらでは、最初の特許よりもシンプルに「本物のmemorabiliaの一部をカードのようなものに取り付ける」という考え方が権利の中心になっている。
大手メーカーとの衝突
GluckがRelicカードにつながるアイデアを最初に出願したのは1993年。そして、その特許US5803501が成立したのは1998年だった。
その間に、実際のカード市場でも大きな動きが起きていた。
Upper Deckは1996–97年のホッケーカードでgame-used jerseyを使ったカードを発売。さらに1997年には、Ken Griffey Jr.、Tony Gwynn、Rey Ordóñezの実使用ジャージ片を封入した野球の「Game Jersey」を発売した。
つまり、Gluckの特許が成立する前から、大手メーカーによるRelicカードの商品化は始まっていたことになる。
そしてRelicカードは、その後急速に市場へ広がっていった。
ここで、Gluckの特許と大手カードメーカーの商品が衝突する。
GluckがUpper Deckを去った後、その特許を持ったMedia Technologies Licensing LLCが、2001年11月、Upper Deckなどのカードメーカーを相手に特許侵害を主張する訴訟を起こした。Gluckは同社の経営に関与していたとされる。
まぁ途中で特許権の移転等の細かな話もあったようだけど、そこは置いておいても、「発明者が大手メーカーを直接訴えた」というのは衝撃。
ただし、裁判では簡単にGluckの主張は通らなかった。当然訴えられたカードメーカーは特許侵害を認めたくないから、色々な反論をする。
焦点は、そもそもGluckのアイデアは、特許として認められるほど画期的な発明だったのか。
そもそも簡単に思いつくアイデア?
メーカー側は、Gluckの発明は当時すでに知られていたアイデアから、比較的容易に思いつくものだったと主張した。
そこで裁判に登場したのが、Gluckの出願より前に存在した、ちょっと変わった品々だった。
たとえば、Marilyn Monroeに関係するカードとdiamondの組み合わせ、Beatlesメンバーが寝たとされるシーツ片と真正性を示す書類、James Deanのジーンズ片とノベルティカードなどだ。
もちろん、これらが現在のスポーツRelicカードそのものだったわけではない。
しかし、
有名人に関係する本物の物を手に入れる
→ その一部を切り取る
→ 写真やカードなどと組み合わせる
→ 本物であることを示す
メーカー側の主張を簡単にすると、
「こうした既存のアイデアをスポーツカードに応用することは、当時のカード制作者なら容易に思いつけた。だからGluckの特許には進歩性が無く、特許として認められない」
ということだ。
これが、裁判で大きな争点になった。
ここでGluck側が反論の材料の一つとして挙げたのが、Relicカードが実際に大きな商業的成功を収めたことだった。
Gluck側の考え方を簡単にすると、
「本当に誰でも簡単に思いつくようなものだったのなら、なぜ長いスポーツカードの歴史の中で誰もやらなかったのか。そして実際に商品になったら、これほど売れたではないか」
ということだ。
ただし、ここには重要なポイントがある。
「売れた=進歩性がある」ではない。
その商品が売れた理由と、特許で権利を主張している発明との間に、きちんとした結び付きがなければならない。
そこでメーカー側は、こう反論した。
「Relicカードが売れたことは認める。でも、それがGluckのアイデアだったから売れたとは限らない」
実際にRelicカードを商品として大量に販売するためには、さまざまな工夫が必要だった。
メーカー側が例として挙げたのが、Relic片を表面と裏面のcardstockの間に挟み、できるだけ平らなカードに仕上げる3-ply(3層)構造や、Relicカードが入ったパックだけを外から判別しにくくする包装上の工夫、そして重要なのは選手の人気ということだった。
メーカー側が言いたかったのは、
「Relicカードが大ヒットしたのは、Gluckの発明が理由ではない。メーカーの構造や梱包に関するアイデアによるものだ」
ということだ。
つまり、
Gluck側:
「簡単に思いつく発明だったというけれど、実際にRelicカードは大ヒットした。それも発明の画期性を考える材料になるのでは?」
メーカー側:
「ヒットしたことは認める。でも成功した理由には、3-ply構造や包装など、商品化するために加えた別の工夫もある。売れたことだけでGluckの発明が画期的だったとは言えない。そもそも過去に、似たようなものがあるよね」
というやり取りだった。
裁判所は、最終的に、Gluckの特許は、既存アイデアを組み合わせれば比較的容易に思いつくものだから進歩性が無いとして、一度は特許として登録されたものを、改めて無効と判断した。
2対1で分かれた判断
裁判の記録を見ると、この判断に納得しなかった裁判官が一人いたらしい。
控訴審を担当した3人の裁判官のうち、2人はGluckの特許に進歩性が無いという結論を支持したが、1人は反対した。
反対したのがRader判事だった。
100年以上、誰もやっていなかった
スポーツのtrading cardには100年以上の歴史がある。でもGluck以前に、選手本人が使用したmemorabiliaの一部を組み込んだスポーツカードが存在したことは示されていない、とRader判事は指摘した。
つまり、
「そんなに簡単に思いつくアイデアだったのなら、なぜ100年以上も誰もやらなかったのか?だからこの発明を思いつくことは、従来より進歩したことなのではないか」
という疑問だ。
比較されたものは、本当にRelicカードに近いのか?
メーカー側が持ち出した過去の例、Marilyn Monroeのカードにダイヤモンドがついていた例、Beatlesに関係するとされたシーツ、James Deanのジーンズなどについても、Rader判事は、こうしたものをスポーツカードと結び付けて、「だからGluckの発明も簡単に思いつく」と考えてよいのかと疑問を示した。
要するに、
「確かに似た要素は昔からあった。でも、それとスポーツRelicカードは本当に同じ話なの?」
ということだ。
大手メーカー自身も、最初はRelicカードに否定的だった
ここでもう一つ、Rader判事が注目した興味深い話がある。
実はGluckは、特許が成立する前に、自分のRelicカードのアイデアをUpper Deckなどの大手カードメーカーに持ち込んでいた。
しかし、Rader判事が裁判記録をもとに書いた反対意見によると、メーカー側は当初、このアイデアに否定的だった。とのことだ。
当時は、選手が実際に使用したジャージなどのmemorabiliaは、そのまま保存するからこそ価値がある、という考え方が一般的だった。
それをわざわざ切り刻んで、カードに付ける。
今では当たり前のRelicカードも、当時の感覚では、
「そんなことをしたら、せっかくの貴重なmemorabiliaの価値を壊してしまうのでは?」
という発想だったようだ。
ところが、その後Upper Deckは実際にgame-used jerseyを切り分けたカードを商品化する。
そしてRelicカードはコレクターから支持され、大きな市場へ成長していった。
Rader判事は、こうした経緯も「Gluckの発明は簡単に思いつくものだった」とする判断に疑問を投げかける材料になると考えた。
もちろん、Rader判事の意見が裁判の結論とはならず、最終的には2対1で、Gluck側に厳しい判断が維持された。
それでも、この裁判を読んでいると、Rader判事の疑問には妙に納得させられるところがある。
100年以上、誰もやらなかった。
大手メーカーも、最初は否定的だった。
ところが、商品化されたら大ヒットした。
本当に、Relicカードは**「誰でも簡単に思いつく発明」**だったのだろうか。
そして、最高裁へ
2対1で敗れたGluck側は、それでも諦めず、さらに米国最高裁で争おうとした。
しかし2010年、最高裁はこの事件を取り上げなかった。
その結果、Gluck側が争っていた特許について、一旦無効とされた判断が覆ることはなく、争いは事実上ここで終わった。
結局、Relicカードは誰の発明だったのか
この記事を書くために調べ始めたとき、私は「Relicカードを発明したのは誰か、どのメーカーが最初に思いついたのか」という、もっと単純な答えが見つかると思っていた。
でも、そう簡単な話ではなかった。
Adrian Gluckは、現在のRelicカードにつながるアイデアを早い時期に具体化し、特許として出願した。
一方で、そのアイデアを基にしたかどうかはわからないが、Relicカードを実際に作り、多くのコレクターが欲しがる商品へ育てていったのはカードメーカーだった。
「最初にアイデアを出した人」と「それを商品として世の中に広めた人」
Gluckのアイデアも称えたいし、カードメーカーの理屈も理解できる。大手カードメーカーがGluckのアイデアを横取りしたと言い切れるわけでも無いしね。電話の発明でも、ほぼ同時期に二人が同じ発明をしたのは有名な話だし。
今回色々と調べてみて、Relicカードに関するイメージは変わった。カードに埋め込まれた小さなmemorabiliaの裏側に、こんな歴史があったことも少し思い出してみたい。



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