僕はミッキー・マントルの現役時代を知らない。名前は知っていたけれど、カードを持つと、どんな選手だったのかも気になってくる。
ミッキー・マントル(Mickey Mantle)は、1951年から1968年までニューヨーク・ヤンキースでプレーした選手だ。ここでは、カードから興味を持った人に向けて、来歴と主な成績をまとめておきたい。
レジェンドとして有名だけど18年間しかプレーしてなかったんだ。
オクラホマから、ヤンキースへ
1931年10月20日、オクラホマ州スパビノー生まれ。父と祖父から野球を教わり、左右両方の打席で打つスイッチヒッターになった。[公式サイトの来歴]
1951年に19歳でメジャーデビュー。翌1952年には、ジョー・ディマジオの後を継ぐ形でヤンキースの中堅を担うようになる。[米国野球殿堂の紹介]
カードの顔を見ているだけでは、守っていた場所までは分からない。マントルは、主にセンターを守り、右投げのスイッチヒッター。
1956年、打撃三冠を獲得
代表的なシーズンが1956年。打率.353、52本塁打、130打点を記録し、アメリカン・リーグの打撃三冠に輝いた。打率・本塁打・打点の三部門でリーグのトップに立つ成績だ。[米国野球殿堂]
この年に初めてリーグMVPを受賞。翌1957年、さらに1962年にも選ばれ、MVPは計3回となった。[公式サイト]
主な通算成績
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 所属 | ニューヨーク・ヤンキース(1951〜1968年) |
| 試合 | 2,401 |
| 安打 | 2,415 |
| 打率 | .298 |
| 本塁打 | 536 |
| 打点 | 1,509 |
| ワールドシリーズ優勝 | 7回 |
打撃成績はレギュラーシーズンの通算。ワールドシリーズ優勝は、所属したチームでの実績です。出典:米国野球殿堂「Bat for a Blast」、選手紹介・通算成績。
けがとともに歩んだ現役生活
華やかな数字の一方で、けがにも悩まされた。ルーキーだった1951年のワールドシリーズでは、打球を追って右膝を大きく負傷している。[米国野球殿堂]
現役最後のシーズンは1968年。1969年のシーズンが始まる前に引退し、1974年には米国野球殿堂入りを果たした。[米国野球殿堂の回顧記事]
なぜマントルは、カードでもこんなに人気なのか
ここまで成績を見ても、まだ気になることがある。すごい選手だったのは分かる。でも、ほかにも成績のいいレジェンドはいる。なぜカードの世界では、マントルがこれほど特別なのだろう。
一つは、選手への憧れだ。米国野球殿堂は、放送人ボブ・コスタスが、憧れのマントルの1952年Toppsを財布に入れて持ち歩いていたと紹介している。数字の比較だけでは分からない、個人の思い出との結びつきがある。[米国野球殿堂]
そして、1952 Topps #311という一枚の存在が大きい。PSAはこのカードを、カード収集という趣味そのものの象徴として説明している。選手としてのマントルだけでなく、このカード自体が憧れの対象になっている。[PSAの解説]
面白いのは、ルーキーカードは1951 Bowman #253で、1952年Toppsではないことだ。単に「最初のカードだから」という理由では、この特別扱いは説明しきれない。[Toppsのカード紹介]
希少性も関係する。1952年Toppsのマントルは、希少とされる後半のシリーズに入っている。ただし、マントルが写ったカードなら何でも希少、というわけではない。発行年や商品、保存状態によって話は変わる。[PSAのセット解説]
2022年には、SGC 9.5と評価された1952年Toppsの一枚が、1,260万ドルで落札された。これは特に状態のよい個体の実績で、マントルのカード全般の値段を表すものではない。[Heritageの落札発表]
こうしたニュースによって、現役時代を知らない世代にも「マントルのカードは特別」という認識が広がるのだと思う。選手としての人気、カードそのものの歴史、入手の難しさが重なって、今の存在感につながっているのではないか。
成績の順位と、欲しいカードの順位は同じではない。そう考えると、マントルの人気は少し分かる気がする。
成績を知って、もう一度カードを見る
536本塁打、三冠王、3度のMVP。来歴を知れば、あの顔の向こうにある選手生活を少し想像できる。
でも、成績を調べても、カードに描かれたマントルが何を見て微笑んでいたのかは分からない。選手の記録を知ることと、一枚の絵に惹かれること。その両方を楽しめるのが、僕には面白い。
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